イラストレーターヒヂリンゴ・聖の
日々つれづれイラスト&photo日記。
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命日を迎えて。

「1年前の夫氏のこと」と題して、1年前の今日に合わせて、主人のがん発覚から亡くなるまでの闘病記をFacebookに限定公開で綴らせて頂いておりました。一応こんな葛藤もしながら→思うこと。

命日の16日を迎え、闘病記も綴り終わりになり、今思うこと。を書かせてもらいました。

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主人が亡くなってからというもの、主人が生前言っていた、そして私も同意をしていた「死んだら"無"だよ」の考え方に非常に悩まされました。それがいいと思っていたのに、死なれてみると無ほど虚しいものはないなと、こちらがいくら何を思っても伝えようとしても、呼びかけても、死んだら無の思想のもとでは、 何一つ伝えることが出来ないのかと。
しばらくは会う人会う人に、死んだらどうなると思う?というそれぞれの死生観を聞いたりしていました。
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それが数ヶ月経つに連れ、何だかふと気づいたら、死んだら無である考え方が逆に救いに変わっていました。
あの時主人はこんな想いだったかな、しんどかったかな…もっとこうしてあげれていたら良かったな、と、後悔等、想像する度に泣けていた想いが、段々と、もう無なんだから本人は悲しむことも何も全て無しになって、本当になんにも無いんだよと。だから仕方ない、仕方ないというか、何も無いんだから悔やまなくて も大丈夫、本人にだってもう悲しみ苦しみはない、というような、ちょっと説明が難しい前向きな気持ちに変わりました。当たり前ですが、忘れるとか薄れると か区切りとか言うのとは全然違う、何かがストンとハマったようなそんな感じです。
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そしておそらく私はこの世の誰よりも主人の死を現実的に、1番早く受け入れたと思います。
今も主人を知る人から、まだどこかで生きている気がする、信じられない、という言葉をもらうことが時々ありますが、闘病中誰よりも近くで亡くなるまでの覚 悟も持たされ、亡くなってからも毎日起きる度に主人がいない現実をこれでもかと実感させられ続けてきた私としては、"まだ生きている"に、そうだよね〜と は思えず、もう完全にこの世に主人は居ないし二度と会えないことを自覚しています。
もちろん周りの方の、まだ信じられないという気持ちもすごーく分かります。(それを言われたら嫌だとかいう意味では全然無いので今後も言ってもらって構いません。)突然すっと消えられる方がやはりどう考えても気持ちの整理がつかないはずです。だからとっても分かります。
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ただ、最近、別の死別者の方のブログにあった、[死んだ人が"生きた"ということや、"今も生きている"と言うのは、"息づいている"と言うことだと思ったら、すっと腑に落ちた。]という内容の記事を読んで、私も凄く心から納得出来ました。
今こうしてこの文を読んでくださっている皆さんが居ることも、偲ぶ会が開催されることも、主人関係で新たに知り合いになれた方々とやりとり出来て居ることも、私と関係ないところで主人の思い出話がなされていたりすることも、全て主人が"今も生きている(息づいている)"ということなんだなと思います。
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なので私も、子供とかはいないので世代を超えて息づくのは無理かもしれないけれどw、亡くなってからもしばらく誰かの中に息づけるようにこの先も生きれたらいいなぁと思ったりしています。それが生きた、生きるってことなんだろうなぁと。それを考えたら主人の息づき力は凄いなぁと、どれだけの人の中に生きて るんだよと。私も負けられないなぁ!と。
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私は今は強がりではなく、素直に胸を張って幸せだと言える日々を送らせてもらっているので、どうぞ皆さんご心配なきよう!そして主人が与えてくれた経験や縁を大切に、人一倍笑って過ごしていこうと思います。皆さんも貴重な1日1日を大切に。
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途中葛藤はありましたが、主人の1年前日記全26記事、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

JUGEMテーマ:闘病記
 
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